サンクトペテルブルグ&モスクワ~♪♪ №6
2013年 04月 26日
サンクトペテルブルグ&モスクワ №1
サンクトペテルブルグ&モスクワ №2
サンクトペテルブルグ&モスクワ №3
サンクトペテルブルグ&モスクワ №4
サンクトペテルブルグ&モスクワ №5
連休前にサンクトペテルブルグを終わらせる予定でしたのに
こんなに長いUPを続けても先が見えない^^;
今日も2回に分けようか?迷って、、、、、一気に アーーーーーップ!!!
いい加減にして!と思っていますよね、スミマセンm(_ _;)m
どうぞスルーして下さいませ^^;
サンクトペテルブルクの歴史地区は世界遺産に登録されている。
「血の上の救世主教会」
見えてきました~
昼間見ると ちょっと可愛いでしょう♪
タマネギ!!!タマネギ!!!
ねじり具合といい、こんな色彩!こんな形!よくもまあ思いついたこと!!
おどろおどろしい名前の由来は、1881年に暗殺された皇帝アレクサンドル2世の息子が
父が殺された場所に建てたので『血の上の救世主教会』と呼ばれる。
瀕死の皇帝は「寒い!寒い!宮殿に運んでくれ、そこで死ぬ」と言ったそうです。
この場所が暗殺現場、、、、ちょっと、、、、ねぇ、、、、と言いながらも写真は撮る^^;
25年の歳月をかけて建てられた建物は細部まで美しい!!
シッカリと目に焼き付け、イナバウアー状態で写真を撮り、背中も腰もメリメリ言ってます^^;
今は教会としてではなく、博物館となっています。
モザイク!! すっごいモザイク!!
目をみはるような信仰の色! とにかく、イコンは色がすごい!! イコンは迫力がすごい!!
芸術品、というよりもう、そこに神様!!!って感じ。
闇夜に浮かぶ血の上の救世主教会^^;
帝政側から見ると、この教会は皇帝を弔う場所
その為 ソ連時代にはジャガイモ倉庫として使われていたそう。
モスクワの「ワシリー寺院」をモデルにしたとか。
確かに良く似ています、ワシリー寺院←モスクワ編でレポしますって、、、何時になることか(-。-;)ォィォィ
「モスクワは東京で、サンクトは京都って感じだね」
「そうね」
「うん、サンクト、可愛い~ね♪」
「可愛い~♪」
そんなサンクトペテルブルグ、
1703年にピョートル大帝の号令によって何もない沼地に建設された人工都市。
運河を掘り、建材を運んで雪解けの洪水、捕虜やら農奴四万人以上が命を落とした、とのこと。
何の文学小説か忘れたけど、呪いの上に建てられた街とか表現されていた。
「つまり、将門の呪みたいな?」
「う~ん、、、ちょっと違うと思うよ、、、」
「そう?でも近いよね?」
と、自己完結^^;
実際、モスクワに移動して、サンクトペテルブルグは京都ポジション!と思った。
デカプリスト広場にある大~~きなコレ
エカテリーナ2世がピョートル大帝に贈った「青銅の騎士」と呼ばれるピョートルの銅像、1785年の事だそう。
後ろ姿の方がカッコ良かった^^;
この像は馬の後ろ足2本だけで像全体を支えているという
なかなかすご技を持った像ですなぁ、、、、、
馬の後ろ足で踏みつけている大蛇はフィンランドを表しているとか。
サンクトペテルブルグの歴史地区を散策しています
横目にショッピングセンターガスチャニー ドゥホールを見ながら歩きます。
1階の通り沿いは、観光客向けの土産物屋が並び、奥は、デパートみたいな感じ。
宮殿風の回廊だなんて、シャレてますぅ~♪
次は、、、、ほら 見えてきましたね、行きましょう~♪
カザン聖堂
ロシア正教会の中心となっている大聖堂
カトリック風の列柱が広場を囲むように半円形に並び、中央に大聖堂が位置しています。
広場周辺にはそんなに人がいなかったのに、聖堂内部に入るとロシア正教会の信者で溢れていました。
聖堂内にいる女性は皆スカーフですっぽり頭を包んでいました。
ロシア正教は立ったまま祈りを捧げますので、聖堂内に椅子は有りません。
人々は壁に点在する聖像を丁寧に回りながら、そこに何度もキスをして祈りを捧げています。
一番重要なロシアの守護神カザンの聖像前には長い列ができていた。
聖堂全体に祈りの空気が満ちていて、神聖な気持ちになる。
祈りの風景は何処の国でも何時も圧倒されるほど美しい。
聖イサク大聖堂の柱にも圧倒されましたが、ここの柱は凄いッ!!
ギリシャとかイタリアで見た聖堂に似ている、やっぱりロシアはヨーロッパだ。
スモーリヌイ修道院
エリザベータが女子教育の場所として建設した女子修道院です。
1917年にソビエト政権の独立宣言が行われ、首都がモスクワに移されるまで
革命政府の本部として使われたなんて、、、、
綺麗な水色が乙女チックな建物が革命本部、、、、ミスマッチな感もしないでもないです。
全寮制女子修道院ねぇ、、、、ジャ ジャ ジャ ジャァ~~~ン
2時間ドラマのオープニングメロディーが聞こえてきそう~(-。-;)ォィォィ
アレクサンドル・ネフスキー大修道院
こちらを創建したのもピョートル、聖人たちを祀ってる修道院です。
此処には著名人のお墓があります。
折角なので←何が折角だかわからないけど、お墓参り^^;
此処にはたくさんの野良猫?が居て
「ロシアはご飯が美味しいから、ネコもムチムチだね」
「「なんか、親しみ感じちゃうわ~」
「いいもの食べてるんだろうなあ」
「太ってるもんねぇ」
「ホント!! ご飯、美味しいからねぇ」
チフヴィン墓地には、ストラヴィンスキーとかチャイコフスキーのお墓がある。
それぞれ凝った造りでしたが、お墓の写真をUPするのも、、、なのでスルーします^^;
ペトロパヴロフスク要塞
サンクトペテルブルグの街を散策していると何時も見える金色の要塞
サンクトペテルブルグの歴史は
ペトロパヴロフスク要塞の建設が開始された1703年5月27日から始まった
ピョートル大帝は、うさぎ島と呼ばれる小島に強固な要塞を建設し
当時強国だったスウェーデンと争うための足がかりにしようとしたのですね。
けれど、実際には主に監獄として利用されたそうです。
何と!! 最初に囚人となったのはピョートルの皇太子アレクセイ
謀反を企てたとして投獄され、父ピョートルの拷問を受けたあと要塞内で死亡した。
エカテリーナ2世の時代に
自分こそ皇位継承者と主張した公爵令嬢タラカーノワや
ドストエフスキー、チェルヌィシェフスキーといった政治犯や思想犯など、多くの人々が投獄されている。
ドストエフスキー レーニンも収容されていました
現在 一部だけ観光客に開放されています
中央にはペトロパブロフスク寺院があり
ピョートル大帝をはじめロマノフ王朝の歴代皇帝の棺が納められています。
棺の写真も、、、如何もねぇ、、、と言うことでスルー^^;
ニコライ2世の棺もあります。
小麦は歴史が好きなので、ついつい書いてしまうのですが、、、だから長くなるんだ!!(≧▽≦;)
ロシア革命の翌1918年、ニコライ2世とその家族、側近までも全員銃殺された。
ニコライ2世皇帝一家のうち、最後まで行方不明だった
第3皇女マリアと皇太子アレクセイの遺骨がロシアのウラル山脈で発見され
米遺伝子研究所の鑑定で確かに2人のものであるとDNA鑑定の結果で判明
それ以外の家族の遺骨は以前の捜索で見つかっていて
DNA鑑定の結果、既にロシア皇帝一家のものと断定されていました。
ロシア最後のロシア皇帝ニコライ2世とその家族については
様々な生存説が取り沙汰され、中でも有名だったのが
第四皇女アナスタシアの生存説ではないでしょうか。
彼女を名乗った女性は数多く現れました
唯一信憑性が高く本人であろうと周囲から強く信じられた女性
後にアメリカに移り住んだアンナ・アンダーソンです。
彼女は、ロマノフ王家の莫大な遺産相続人として名乗りを上げ、ドイツで裁判も起こします。
私は歴史が好きですが、あまり奇想天外なものは信じません
、、、が、、、こういうミステリーはワクワクしますので
彼女がアナスタシア皇女であるという説を提唱した本を読んだ事もあります。
アンナ・アンダーソンの死後にDNA鑑定がなされ
ロマノフ家とは全く何の遺伝的つながりもない人物であることが分かったのです。
皇帝一家の遺骨のDNA鑑定結果にさえ、???をつけている学者や説もその後登場していますので
こういうことって、結局本当のところどうなのでしょう、、、、
歴史上の人物や事件に関する色んな説や考えを知るということも歴史の面白さ、奥深さにつながり
こうした歴史のミステリーが近年の科学的考察により一応の決着がつくということも
歴史上の新たな発見として喜ばしい事なのではないでしょうかねぇ、、、
度々登場するピョートル大帝
デスマスクをもとに作ったブロンズ像
身長2m!!! 何頭身じゃ?体だけでなくとにかく型破りのでっかい人物だったらしい。
10歳で即位し先進国に留学、いろんな学問を勉強して国づくりに役立てた。
サンクトペテルブルグを作っちゃった大規模土木工事に自らも先頭切って参加したらしい。
淡いピンクがシックな街並みに映える
ストロガノフ宮殿
ロマノフ王朝時代のストロガノフ家の屋敷
ストロガノフ家は16世紀からロシアで勢力を広げ、ロマノフ王朝に入り
18世紀はじめの20年にわたる北方戦争での活躍により、伯爵に昇格。
以降ロマノフ王朝の政治の中核を担いパトロンとして文化・芸術の発展にも大きく貢献。
この一家の繁栄ぶりを今に伝えるもの。
ひとつは、ロシアを代表する名物料理ビーフストロガノフ
元々ストロガノフ家の家庭料理でした。
ロマノフ王朝時代に、自宅での晩餐会でこの料理をだしたことから飛躍的にその名を知られるようになり
今やロシア料理の代表格といえるメイン・ディッシュとなりました。
以前は宮殿付属のレストランでビーフストロガノフを食べられたそうですが
現在は別のレストランになってしまい、残念ながら、老舗のビーフストロガノフは食べられません。
各レストラン、その店自慢の味付けで作っているので、試してみる価値、絶対アリです!
私達もビーフストロガノフ頂きました、とてもおいしくて、パンでお皿を綺麗に拭ききって完食しましたよ^^
ストロガノフ家の繁栄ぶりを伝えるもうひとつのもの―それがストロガノフ宮殿です
1750年代に、当時ロシアで活躍していたイタリア人建築家ラストレッリにより
この宮殿は建設されました(エカテリーナ宮殿、冬宮も彼の作品です)。
ロシア・バロック建築の代表とされる、ペテルブルクでも貴重な宮殿です。
外観はゴージャスな風格をたたえていますが
淡いピンク色に彩られているため、とても上品な雰囲気があります。
エルミタージュ美術館もエカテリーナ宮殿も、、、連休明けたらUPできるかなぁ、、、
何処まで続くのだ~ ロシア~(-。-;)ォィォィ
まだまだ続きます~
サンクトペテルブルグ&モスクワ №2
サンクトペテルブルグ&モスクワ №3
サンクトペテルブルグ&モスクワ №4
サンクトペテルブルグ&モスクワ №5
連休前にサンクトペテルブルグを終わらせる予定でしたのに
こんなに長いUPを続けても先が見えない^^;
今日も2回に分けようか?迷って、、、、、一気に アーーーーーップ!!!
いい加減にして!と思っていますよね、スミマセンm(_ _;)m
どうぞスルーして下さいませ^^;
サンクトペテルブルクの歴史地区は世界遺産に登録されている。
「血の上の救世主教会」
見えてきました~
昼間見ると ちょっと可愛いでしょう♪
タマネギ!!!タマネギ!!!
ねじり具合といい、こんな色彩!こんな形!よくもまあ思いついたこと!!
おどろおどろしい名前の由来は、1881年に暗殺された皇帝アレクサンドル2世の息子が
父が殺された場所に建てたので『血の上の救世主教会』と呼ばれる。
瀕死の皇帝は「寒い!寒い!宮殿に運んでくれ、そこで死ぬ」と言ったそうです。
この場所が暗殺現場、、、、ちょっと、、、、ねぇ、、、、と言いながらも写真は撮る^^;
25年の歳月をかけて建てられた建物は細部まで美しい!!
シッカリと目に焼き付け、イナバウアー状態で写真を撮り、背中も腰もメリメリ言ってます^^;
今は教会としてではなく、博物館となっています。
モザイク!! すっごいモザイク!!
目をみはるような信仰の色! とにかく、イコンは色がすごい!! イコンは迫力がすごい!!
芸術品、というよりもう、そこに神様!!!って感じ。
闇夜に浮かぶ血の上の救世主教会^^;
帝政側から見ると、この教会は皇帝を弔う場所
その為 ソ連時代にはジャガイモ倉庫として使われていたそう。
モスクワの「ワシリー寺院」をモデルにしたとか。
確かに良く似ています、ワシリー寺院←モスクワ編でレポしますって、、、何時になることか(-。-;)ォィォィ
「モスクワは東京で、サンクトは京都って感じだね」
「そうね」
「うん、サンクト、可愛い~ね♪」
「可愛い~♪」
そんなサンクトペテルブルグ、
1703年にピョートル大帝の号令によって何もない沼地に建設された人工都市。
運河を掘り、建材を運んで雪解けの洪水、捕虜やら農奴四万人以上が命を落とした、とのこと。
何の文学小説か忘れたけど、呪いの上に建てられた街とか表現されていた。
「つまり、将門の呪みたいな?」
「う~ん、、、ちょっと違うと思うよ、、、」
「そう?でも近いよね?」
と、自己完結^^;
実際、モスクワに移動して、サンクトペテルブルグは京都ポジション!と思った。
デカプリスト広場にある大~~きなコレ
エカテリーナ2世がピョートル大帝に贈った「青銅の騎士」と呼ばれるピョートルの銅像、1785年の事だそう。
後ろ姿の方がカッコ良かった^^;
この像は馬の後ろ足2本だけで像全体を支えているという
なかなかすご技を持った像ですなぁ、、、、、
馬の後ろ足で踏みつけている大蛇はフィンランドを表しているとか。
サンクトペテルブルグの歴史地区を散策しています
横目にショッピングセンターガスチャニー ドゥホールを見ながら歩きます。
1階の通り沿いは、観光客向けの土産物屋が並び、奥は、デパートみたいな感じ。
宮殿風の回廊だなんて、シャレてますぅ~♪
次は、、、、ほら 見えてきましたね、行きましょう~♪
カザン聖堂
ロシア正教会の中心となっている大聖堂
カトリック風の列柱が広場を囲むように半円形に並び、中央に大聖堂が位置しています。
広場周辺にはそんなに人がいなかったのに、聖堂内部に入るとロシア正教会の信者で溢れていました。
聖堂内にいる女性は皆スカーフですっぽり頭を包んでいました。
ロシア正教は立ったまま祈りを捧げますので、聖堂内に椅子は有りません。
人々は壁に点在する聖像を丁寧に回りながら、そこに何度もキスをして祈りを捧げています。
一番重要なロシアの守護神カザンの聖像前には長い列ができていた。
聖堂全体に祈りの空気が満ちていて、神聖な気持ちになる。
祈りの風景は何処の国でも何時も圧倒されるほど美しい。
聖イサク大聖堂の柱にも圧倒されましたが、ここの柱は凄いッ!!
ギリシャとかイタリアで見た聖堂に似ている、やっぱりロシアはヨーロッパだ。
スモーリヌイ修道院
エリザベータが女子教育の場所として建設した女子修道院です。
1917年にソビエト政権の独立宣言が行われ、首都がモスクワに移されるまで
革命政府の本部として使われたなんて、、、、
綺麗な水色が乙女チックな建物が革命本部、、、、ミスマッチな感もしないでもないです。
全寮制女子修道院ねぇ、、、、ジャ ジャ ジャ ジャァ~~~ン
2時間ドラマのオープニングメロディーが聞こえてきそう~(-。-;)ォィォィ
アレクサンドル・ネフスキー大修道院
こちらを創建したのもピョートル、聖人たちを祀ってる修道院です。
此処には著名人のお墓があります。
折角なので←何が折角だかわからないけど、お墓参り^^;
此処にはたくさんの野良猫?が居て
「ロシアはご飯が美味しいから、ネコもムチムチだね」
「「なんか、親しみ感じちゃうわ~」
「いいもの食べてるんだろうなあ」
「太ってるもんねぇ」
「ホント!! ご飯、美味しいからねぇ」
チフヴィン墓地には、ストラヴィンスキーとかチャイコフスキーのお墓がある。
それぞれ凝った造りでしたが、お墓の写真をUPするのも、、、なのでスルーします^^;
ペトロパヴロフスク要塞
サンクトペテルブルグの街を散策していると何時も見える金色の要塞
サンクトペテルブルグの歴史は
ペトロパヴロフスク要塞の建設が開始された1703年5月27日から始まった
ピョートル大帝は、うさぎ島と呼ばれる小島に強固な要塞を建設し
当時強国だったスウェーデンと争うための足がかりにしようとしたのですね。
けれど、実際には主に監獄として利用されたそうです。
何と!! 最初に囚人となったのはピョートルの皇太子アレクセイ
謀反を企てたとして投獄され、父ピョートルの拷問を受けたあと要塞内で死亡した。
エカテリーナ2世の時代に
自分こそ皇位継承者と主張した公爵令嬢タラカーノワや
ドストエフスキー、チェルヌィシェフスキーといった政治犯や思想犯など、多くの人々が投獄されている。
ドストエフスキー レーニンも収容されていました
現在 一部だけ観光客に開放されています
中央にはペトロパブロフスク寺院があり
ピョートル大帝をはじめロマノフ王朝の歴代皇帝の棺が納められています。
棺の写真も、、、如何もねぇ、、、と言うことでスルー^^;
ニコライ2世の棺もあります。
小麦は歴史が好きなので、ついつい書いてしまうのですが、、、だから長くなるんだ!!(≧▽≦;)
ロシア革命の翌1918年、ニコライ2世とその家族、側近までも全員銃殺された。
ニコライ2世皇帝一家のうち、最後まで行方不明だった
第3皇女マリアと皇太子アレクセイの遺骨がロシアのウラル山脈で発見され
米遺伝子研究所の鑑定で確かに2人のものであるとDNA鑑定の結果で判明
それ以外の家族の遺骨は以前の捜索で見つかっていて
DNA鑑定の結果、既にロシア皇帝一家のものと断定されていました。
ロシア最後のロシア皇帝ニコライ2世とその家族については
様々な生存説が取り沙汰され、中でも有名だったのが
第四皇女アナスタシアの生存説ではないでしょうか。
彼女を名乗った女性は数多く現れました
唯一信憑性が高く本人であろうと周囲から強く信じられた女性
後にアメリカに移り住んだアンナ・アンダーソンです。
彼女は、ロマノフ王家の莫大な遺産相続人として名乗りを上げ、ドイツで裁判も起こします。
私は歴史が好きですが、あまり奇想天外なものは信じません
、、、が、、、こういうミステリーはワクワクしますので
彼女がアナスタシア皇女であるという説を提唱した本を読んだ事もあります。
アンナ・アンダーソンの死後にDNA鑑定がなされ
ロマノフ家とは全く何の遺伝的つながりもない人物であることが分かったのです。
皇帝一家の遺骨のDNA鑑定結果にさえ、???をつけている学者や説もその後登場していますので
こういうことって、結局本当のところどうなのでしょう、、、、
歴史上の人物や事件に関する色んな説や考えを知るということも歴史の面白さ、奥深さにつながり
こうした歴史のミステリーが近年の科学的考察により一応の決着がつくということも
歴史上の新たな発見として喜ばしい事なのではないでしょうかねぇ、、、
度々登場するピョートル大帝
デスマスクをもとに作ったブロンズ像
身長2m!!! 何頭身じゃ?体だけでなくとにかく型破りのでっかい人物だったらしい。
10歳で即位し先進国に留学、いろんな学問を勉強して国づくりに役立てた。
サンクトペテルブルグを作っちゃった大規模土木工事に自らも先頭切って参加したらしい。
淡いピンクがシックな街並みに映える
ストロガノフ宮殿
ロマノフ王朝時代のストロガノフ家の屋敷
ストロガノフ家は16世紀からロシアで勢力を広げ、ロマノフ王朝に入り
18世紀はじめの20年にわたる北方戦争での活躍により、伯爵に昇格。
以降ロマノフ王朝の政治の中核を担いパトロンとして文化・芸術の発展にも大きく貢献。
この一家の繁栄ぶりを今に伝えるもの。
ひとつは、ロシアを代表する名物料理ビーフストロガノフ
元々ストロガノフ家の家庭料理でした。
ロマノフ王朝時代に、自宅での晩餐会でこの料理をだしたことから飛躍的にその名を知られるようになり
今やロシア料理の代表格といえるメイン・ディッシュとなりました。
以前は宮殿付属のレストランでビーフストロガノフを食べられたそうですが
現在は別のレストランになってしまい、残念ながら、老舗のビーフストロガノフは食べられません。
各レストラン、その店自慢の味付けで作っているので、試してみる価値、絶対アリです!
私達もビーフストロガノフ頂きました、とてもおいしくて、パンでお皿を綺麗に拭ききって完食しましたよ^^
ストロガノフ家の繁栄ぶりを伝えるもうひとつのもの―それがストロガノフ宮殿です
1750年代に、当時ロシアで活躍していたイタリア人建築家ラストレッリにより
この宮殿は建設されました(エカテリーナ宮殿、冬宮も彼の作品です)。
ロシア・バロック建築の代表とされる、ペテルブルクでも貴重な宮殿です。
外観はゴージャスな風格をたたえていますが
淡いピンク色に彩られているため、とても上品な雰囲気があります。
エルミタージュ美術館もエカテリーナ宮殿も、、、連休明けたらUPできるかなぁ、、、
何処まで続くのだ~ ロシア~(-。-;)ォィォィ
まだまだ続きます~
by comuginet | 2013-04-26 06:13 | ★旅行